「皆さんさようなら どうぞ佳き日々を」久都間教化部長の信仰随想(番外編)


埼玉・群馬教区 教化部長 久都間 繁

 

 

 新型コロナウィルスの蔓延によって、三月に開催される予定だった生長の家講習会をはじめ、すべての行事が取りやめとなった。残念ながら、お別れの講話や送別会もできないまま、皆さんとさよならをしなければならない。この紙面を借りてご挨拶とさせていただこうと思う。

 

 さて、新型コロナウイルス問題の本質は、現象だけを見ていたのでは捉えることはできないだろう。おそらくこの事態は、現代文明に対する自然界を含む私たち生命全体の深層意識からの自己処罰であって、そのことに多くの人々が気づいていないのは地球温暖化の背景と同じである。

 

 たとえば今年のアカデミー作品賞や国際映画賞を受賞した「パラサイト 半地下の家族」などは、この意識の深層に潜むものを見事にとらえて作品化しており、私たちが日々実修する「四無量心を行ずる神想観」で〝浄化〟や〝神癒〟の対象としているのも、現象の背景に密そむ名もない〝いと小さき者〟たちの悲しみや苦しみであり、彼らの実相を直視して「苦しみを除き、悩みを和らげ」浄土へと導くことにほかならないのである。

 

 今般の新型コロナウイルスへの現実的な対処法は、諺にある「柳に雪折れなし」の方法が最適かもしれない。つまり、相手は〝自然〟なのだから、彼らの性質に合わせて柔軟な対応をすることでやり過ごすのである。ウイルスが猛威を振るうような事態はいつまでも続くものではなく、数カ月もすれば多くの人の躰に免疫ができて、新型がやがて旧型となり、ただの風邪へとなり果てるであろう。

 

 問題となるのは、新型ウイルスが猛威を振るうかに見えるこの時期に開催する数十人規模の行事が、感染拡大へと繋がる可能性である。そこに一人でも感染者が入場していれば、その〝場〟が感染の温床となることから、み教えに照らして、「人事処の三相応を得て」いるか否かをよくよく吟味して行事のことを考えなければならない。だからこの三月は、あたかも台風の暴風が通り過ぎるのをそっと頭を下げてやり過ごすように、静かに息をひそめて待つときなのである。

 

 このように、教区ではウイルス対策について打つべき手は打っているが、〝自然〟が相手なのだから、思いがけない展開をするのは当然と見て、雨が降れば傘を差し、雷雨や豪雨となれば建物の中に入るように自在に対応すればよい。ただし、ただ手を拱いて見ているのではなく、このようなときこそ大調和を〝祈り〟真理を〝学ぶ〟ときである。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」というが、相手と己とを知ることの究極は、大調和の神示にある「天地一切のものと和解」し、実相を観て感謝することに尽きるのである。日々三正行に励み〝家庭内愛行〟に勤しんでいれば、決して「黴菌や悪霊に犯され」ることなどないのである。では皆さん、また楽しく語り合う日まで、ご自愛ください。どうぞ佳き日々を、さようなら。