「 手作りの言葉から」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 私たちは実にさまざまな「道具」に囲まれて生活している。私もこの原稿を書くに当たってノートやペンやパソコンなどの道具の世話になっているのであるが、この道具について『日本語大辞典』には「物を作ったり仕事をはかどらせるために用いる種々の用具。また、日常使う身の回りの品々」と書かれている。道具の一つひとつには、実は人類の知恵と経験とアイディアとが、長い時間を掛けて結晶化しているのだ。

 

 普段そんなことを意識しなくて済むのは、道具があるのは〝当たり前〟と思っているからである。神の恵みや親の恩と同様で、このカタチに至るまでの苦労やヒラメキや喜びなど顧みることもないからである。道具を使うとは、これを通して、名も無き数知れぬ先人たちと対話しているのであり、それは知らないうちに、彼らが遺した工夫や智慧や恩恵の真っ只中に生かされているのである。

 

 宮大工として薬師寺金堂や西塔などを再建した西岡常一氏によると、一流の大工は自分たちが仕事で使うノミやカンナなどの道具を〝手作り〟しているそうである。それは自らの仕事を正確に為し遂げるために必要な最低限の工夫であり、その繊細な手仕事とともに豊かな智慧が受け継がれ、千年の時を越えて今日に伝わっているのだ。それは宮大工のみならず、一流と言われる仕事を受け継ぎ、後の世代へと伝えるためには、道具まで手作りしてしまうような第一級の工夫が要る、ということなのだ。私たち生長の家の場合、それは「言葉」ということであろう。

 

 たとえば世界最高と信ずる教えを、誰かに伝えようとするとき、その媒体となる言葉がナマクラでは、真理を伝えることは難しかろう。生長の家を伝えるとは、宮大工が道具を手作りしたように、み教えを伝えるためのあなたの「言葉」を〝手作り〟して、現代に花開かせることである。言葉は、読むこと、考えること、書くことによって培われる。どんなに善い、最高の教えも、それを正確に書き表し、心を込めて語ることができなれば、真理を後生に伝えることはできないのだ。言葉について日々研鑽を積み重ねた分だけ、あなたの言葉の楽器は着実に調律され、より豊かな音を奏でるようになるのだ。

 

 生長の家では「人生は言葉によって創られる」と教えていただいている。私たちの「想い」と「言葉」とが一致してくれば、「表現」は自ずから確かなものとなる。研鑽の方法は、すでに私たちの伝統の中に織り込まれている。和歌も俳句も日記も言葉を〝手作り〟することの工夫にほかならず、先人たちはこれを楽しみ味わうことで生活に美と豊かさとを生み出してきたのだ。その言霊の伝統と生長の家の光明思想をムスビ合わせたのが「日時計日記」である。日々の喜びを書き綴り、神の恵みに心を寄せて感謝することで、どれだけ私たちの表現力が豊かなものとなり、四無量心が行ぜられ、美しい生活があなたの人生に実現することだろう。

 

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コメント: 1
  • #1

    神の子三昧 (火曜日, 03 12月 2019 14:25)

    道具の手造りは現在でも玄人大工は手造りでカンナの台等を自作している職人も少なくない。