「「授記」と菩薩行」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 

 「授記」とは仏教の言葉で、仏が弟子に成仏の認可を授け〝悟り〟を予言することである。観世音菩薩には〝千の手〟があることは知られているが、その手の一つひとつに〝眼〟があることは知られていない。その眼は、人々を救済するために人のいのちを見通すための眼である。大慈大悲の仏にとって、すべての現象は〝お見通し〟である。これが天眼通であり、天耳通であり、神足通などの六神通である。私たちが神想観や愛行を通して仏の慈悲喜捨を生きるとき、この六神通が働くのである。それは特別な力ではなく、仏が衆生を救済する如意自在の働きであり宇宙に遍満するチカラである。

 

 観世音菩薩の心の眼は、すべての人々が久遠実成の仏であることを見通し「授記」を伝える。これはかつて釈尊が行じられた常不軽菩薩の働きであり、私たち生長の家が行ずる菩薩行も、すべての人に宿る「人間・神の子」の實相を見抜き、天地万物の背後にある「山川草木国土悉皆成仏」の實相を見通し、その真実を告げるのである。これが『大調和の神示』に説かれた「天地一切のものと和解」し感謝することにほかならない。

 

 生長の家から観れば、この世に神の子ならざる者など一人もいないのである。巷間を震かんさせ多くの人を殺めた罪人と見える者も、窃盗や詐欺を働いたと見える者も、唯物論者も、一切の動物や一木一草といえども、悉く仏のいのちそのものであり、そのまま救われ済みの神の子の實相を根底から〝見抜く〟のである。それが生長の家の唯神實相の教えであり、菩薩行はその大慈悲に立って救いの光を放つのである。彼の實相を拝み得ればこそ、一切の罪障を超えて、彼を神の子の本来の姿へと導くことができるのだ。この愛行を支えるチカラが仏の四無量心、即ち無尽蔵の力であり、それが神の子無限力の源泉である。釈迦の誕生も、生長の家の出現も、この人間・神の子の真理と悉皆成仏の真理を、天地の万物に告げるために誕生したのであり、生長の家を信仰するあなたは、その掛け替えのない使命を受けてこの世に生まれた一人である。

 

 「罪なし、死無し、病無し、これが生長の家の根本真理であります」とお説きくださった谷口雅春先生の悲願が、プロジェクト型組織(PBS)の〝救いの慈門〟となって現れる。生長の家の集まりが開かれるその〝場〟を通して、仏の慈悲喜捨である〝千の眼〟と〝千の手〟とが自在に展開するのである。それがミニイベントであり、かつて〝神誌〟と云われた普及誌的行事の目的である。

 

 そこで私たちは新たな人に、ご縁ある人びとに〝人間・神の子〟の真理を授けるのである。千の眼をもって實相を観、千の手をもって「授記」するのである。それは行為と言葉と愛行の身・口・意の三業をもって、神縁ある人を本来のすがたである神の子・人間の境涯へと導くのである。それが聖使命菩薩としての私たちの使命であり、令和の御代の菩薩行である。