「天地を貫く生命」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 

 平成から令和にかけてのこの時期、還暦を迎える他県の方を二人ほど個人指導させていただいた。還暦とは十干十二支が一巡して六十年を迎えることだが、彼らに通底していたのは人生の転換期を迎えていたことだ。生活に健康に行き詰まり、み教えに救いを求めて〝良い〟と云われることはあらかたやってみたが一向に解決せず、関心は新しい御代のことよりも焦眉の救いに向けられていた。

 

 『生命の實相』倫理篇で谷口雅春先生は、「天地を貫く生命が自分に宿って自分を生かしているのである、その天地を貫く生命こそ本当の自分である」(下巻12頁)とお説きくださっている。六十年来慣れ親しんだ物質的な境涯には離れがたいものがある。これまで通りの人生を送ろうとしても、現象をこね上げて作った船は、次から次へと穴が空いて浸水し、どんどん沈んでいく。が、本当の船(天地を貫く生命)に乗り換えることができないまま、我が身や家族や会社が沈もうとしている。これは還暦の方の話だけではない。肉体人間は、はじめから終焉を迎えているのである。それを持続させようとすることは、あたかもサナギになった蝉が羽化もせずに再び地中に還ろうとするようなものであり、それでは行き詰まらざるをえない。すでに肉体人間は平成とともに終わりを告げ、生命は令和とともに新生しているのだ。私たちは、これまでの学舎に感謝して卒業すればよい。すでに〝神の子人間〟の境涯が始まっている、それが御代替わりの本当の意味である。自分のための人生から、世のため次世代のため、生きとし生けるもののための人生へ、菩薩としての使命を生きることこそが本当の人生である。還暦の面々も、御代替わりのことも、私たちに多くのことを語りかけているのである。

 

 心理学者のユングに、彼のドイツ人の友人のヴィルヘルムという中国研究者が出合ったという〝雨降し男〟のエピソードがある。ヴィルヘルムが中国のある地方を訪れたとき、深刻な干ばつに見舞われていた。人々が祈祷など繰り返したが無駄だった。最後に〝雨降し男〟が招かれた。地元で準備した小屋に男が籠もった四日目のこと、雪の嵐が生じたという。その男に理由を尋ねると、「これは私の責任ではない。ただこの地方に来たときに天地の調和が乱れていた。私もその影響ではじめは心を乱されたが、ここに籠もって自分が天地と和解することを祈り続けた。すると自然と雨が降ってきた」と語ったそうである。

 

 私たちが地上に大調和の世界を持ち来すヒントがこのエピソードに隠されている。それは唯心所現の真理と、神(天地を貫く生命)への堅信である。その神意を、地上で具体的に実現する「〝てこ〟の支点(leverage point)」となるのが、令和から本格的に展開する生長の家プロジェクト型組織(PBS)の活動である。神意(甘露の法雨)という〝聖なる雨〟をこの御代に降らし〝新しい文明〟を拓くのは、私たちの日々の祈りと、たゆまぬ慈悲喜捨の行いとである。