「インタープリテーション」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 「令和」という新しい御代が始まる。「平成」がスタートしたのが、ついこの前のように感じている皆さんも多いかもしれない。それだけ私たちは〝今ここ〟を一所懸命に、黙々と生き抜いてきたのだ。生長の家にとって新しい御代の訪れは、神と自然と人間が大調和した世界が花開くときである。それは〝新しい文明〟の幕開けであり、あなたがこの世に生まれたご使命が、いよいよ成就するときである。

 

 實相世界のことを華厳経では「蓮華蔵世界」と呼んでいる。広辞苑によるとそれは「巨大な蓮華の中に包含された浄土」であるという。蓮華とは、花咲き、実り、生長する生きた生命の象徴であり、永遠に尽きることのない生命の泉のことである。その源泉があればこそ、四季はめぐり、花は咲き、生があり、死があり、また誕生があり、生長の喜びあふれる無限創造の世界が顕現するのである。

 

 蓮華蔵世界に咲く花とは〝いのち〟のことである。その花は、仏教でマンダラ(曼荼羅)と称しているもので、ユングはそれを深層意識にある人間の本質(self)であると説いた。ここで言う人間とは、實相人間(real man)のことである。つまり蓮華蔵世界は〝いのち〟(曼荼羅)の花咲く宇宙である。その華の一つひとつが光明燦然と大光明を放つところの人間の實相である。一人ひとりに宿るその華を咲かせてあげるのが私たち生長の家の使命であり、それは愛と祈りを通して地上に花開くのである。

 

 さて、花咲く季節はネイチャー・インタープリテーションの時節到来である。神は宇宙大の世界のみならず、この世の隅々にまで満ち充ちているのだ。インタープリテーションは深山幽谷の大自然に分け入って実施するもよし、一方、都市にある公園や史跡でも、工夫次第で豊かな自然体験ができるのである。そのポイントは天地に遍満している神の発見である。それは地域の自然や歴史的事実との具体的な出合いを通して、そこで体験した喜びを参加者と共有することにある。「神は細部に宿る」と言われている。が、それを体感するには、息を潜め、対象を観察し、心の耳を澄ませ、その土地の自然や歴史の細部に分け入らなければならない。そこで私たちは、日常の時間の流れの中では出合うことのないリアルな世界と遭遇する。それを目の当たりにした発見と驚きが、あなたに深い内部変革をもたらし、既成概念の包みが解かれ、いのちを観る眼が開けてくるのだ。

 

 「美」とは、自己の本質と対象との一体感が放つトキメキの信号である。根源的なものが響き合い、引かれ、深い魅力を感じ、一つになろうとする、その〝祈り〟にも似た行為の一つがスケッチや俳句やクラフトなどの創作活動である。それは気軽な写真では得ることができない深く豊かな体験をあなたにもたらすだろう。これは対象が放つ根源的なものとの対話であり、同化であり〝ムスビの働き〟である。その喜びが、秘められていた神の生命を解き放ち、あなたを通して新価値(神の国)を生み出すのである。