「日時計主義の原点から」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 生長の家の教えに導かれた日々を振り返ってみれば、私たちは諸先達から日時計主義のご指導を頂いてきたお陰で、道を開かれたことに思い当たるのである。日時計主義について、『生命の實相』には「『生長の家』では出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、想い出す。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである」と教えていただいている。これは『生長の家』誌創刊号より一貫して変わらぬ生長の家の生き方であり、そこに、人生万般のことに応用できる〝救いの秘訣〟が示されている。

 

 日時計主義の〝原点〟に帰る工夫について谷口雅宣先生は、「自分中心の先入見によって世界を見るのをやめ、自分の周囲に与えられたすべてのものを虚心になって見、感じるところからやりなおそう」(『自然と芸術について』)とお説きくださっている。神は、天地のすべてとなって私たちを取り巻いているのだ。それは、陽や星や雲となり、春夏秋冬の季節のめぐりとなり、草木となり、人類の表現活動となって顕れている。

 

 悠久にいとなまれる自然界の運動を、わたしたちは「時間」と呼んでいる。それは〝いのち〟の展開であり、宇宙となり、森羅万象となって奏でられる壮麗な音楽のようでもある。人間においてそれは、宗教活動となり、日々の生業(なりわい)となり、芸術となり、さらに〝新しい文明〟となって、そこに永遠の価値が姿をあらわすのである。その創造する〝いのち〟の側に立つことが神想観である。

 

 聖書でイエスはユダに「なんじが為すことを速やかに為せ」(ヨハネ伝)と語っている。このメッセージの手本は自然界にある。朝に太陽は昇り、春に草木が一斉に萌え始め、冬の大地は一陽来復の準備を着々と進めている。彼らはただ「為す」ことを為しているのであり、それがそのままの生命の相(すがた)である。そこには決意のカケラもなく、ただ「為すこと」を為し給う〝いのち〟の雄渾ないとなみだけがあるのだ。「なんじが為すことを速やかに為せ」とは〝汝に托された使命を生きよ!〟ということにほかならない。

 

 新しき御代を迎えるにあたり、この時の器に入れる葡萄酒は、陽陰の〝ムスビの働き〟によってもたらされるのである。私たちが為すべきことは、「日時計主義」を生きることに尽きるだろう。世の光明面を見るとは、現象的に今どのような状況にあろうとも、自然が枯れ野の中で春の準備を黙々と進めるように、大いなる夢を描き、私たちの中(うち)に在る円満完全なる〝いのち〟に托された使命を信じて生きることである。

 

 そんな私たちの運動は、先の時代に〝洗礼のヨハネ〟の役割を演じたすべての宗教、すべての芸術、すべての産業という旧文明の遺産の一切を受け継ぎ、それに〝真理の灯〟を点ずることにほかならない。それが誌友会の開催であり、PBSのミニイベントであり、さらに日々の神想観から出てくるアイディアが、ムスビの働きによる〝新しい文明〟創出の発火点となるのである。 

 

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コメント: 2
  • #1

    大田修司 (月曜日, 11 2月 2019 11:15)

    久都間教化部長さま
    私は生長の家の信者ではなく、またこの東京第2教化部というところとご縁があるのか、分かりません。
    久都間さまはツクマさまで宜しいでしょうか。私の想像ではございますが、久都間さまは、生長の家の教えを「正しく」理解されその教えを実践され多くの方から信頼を得て今を生きられておられるものと推察いたします。
    私は以前、高橋信次という方の教えに傾倒しておりました。現在でも私の根底には「心の指針」として高橋氏の説いておられた教えがございます。
    高橋氏の教えと谷口雅治初代総裁の説かれる教えは、(初代総裁様の著書は数冊しか読んでおりませんが)異口同音、私には教えの本質は全く同じものと捉えることが出来ました。私はその教えを実践するにあたり、宗教というものは古今東西、創始者の正しい教えが、聞くものの解釈、捉え方で、曲解され、時間と共に形骸化されることは避けられない事と思います。
    自分自身もこの世に産まれた限りは魂の本質である実相に沿い今世を生き抜き実相としての本質を活かして、逝きたいと常々思っております。
    しかし実相とは、これこれ云々と文字や言葉で表現するは易しいですが、心の底から感じ実感するには、どうすれば良いのかと、日々自問自答する事は多くありました。
    また「」神の道具として生きる」ことを毎晩願いながら、そのために不要なもの、邪魔をしている自分の未熟なところ等々を教えてください。それを私が自覚するために必要な体験をお与え下さいと。現実に目の当たりに表してくださいと祈りながら就寝しておりました。
    それは私の魂の実相に沿った神の道具としてこの世の中で生きるために必要な事だと信じています。
    神の道具とならずとも、神の意志に沿うために。神の本質の表れがこの宇宙体であるならば、地球という神の細胞の上に生きる我々は神の意志の一部であるのに、人間同士、隣人同士でさえ調和の道半ばにあります。また家族間でさえも不調和ともいえます。我々に出来る事、原点は、この度初めて読ませて戴きました久都間さまの信仰随想に書かれている事そのものだと思います。
    しかし多くの人は汝が為すことのために為している行為が、破壊行為に成っている事が多々あるように感じます。
    これは、教えを自分中心に誤解、曲解し本来の教えに背いる状況であることは、当事者には解らない事です。
    久都間教化部長さまにも東京第二教化部に在籍されている方を把握することは困難な場合もあると存じます。
    イエス様でもまたお釈迦様でも直接の弟子の中からでも、教えを正しく理解できていた者は少なかったと思います。

    先述いたしました古今東西の旨でございます。

    冒頭で第二教化部と私のご縁でありますが、身近な家族が第二教化部でお世話になっていた関係で今回初めて、こちらのホームページを拝見し、久都間教化部長さまの想いを拝見し、共感いたしましたので、取り留めもなく乱文長々となりましたが、投稿させていただきました。


  • #2

    大田修司 (月曜日, 11 2月 2019 11:44)

    加筆・修正
    正・クツマさま
    誤・ツクマさま

    入力間違いです。
    大変ご無礼いたしました。