「一歩踏み込む足下から」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」とみ教えは説いている。天地の愛が、仏の大慈悲が、父母となって顕れていればこそ、あなたはこの世に生まれてきたのである。あなたが今ここに確実に存在していること、そのことが、まぎれもない神の愛が、父母となって確かに存在していたことを、証ししているのである。

 

 生長の家総本山には、天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)がお祀りされている。これは姿形なき宇宙大生命であり、唯一絶対の神である。その姿形なき神が展開して高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)となり、その神々があなたの父母となって現れている。その陽陰の働きは、天地の自然ともなって顕現している。自然は、豊かな恵みや、安らかな癒やしをもたらす一方で、酷暑や豪雨など、人間に不都合なものをもたらすように見える。後者は、水害や地震など驚くべき激しさで人類を圧倒する場合があるが、それらに遭遇したとき、あらためて人と人との絆、自然と人間との根源的な繋がりへと心の眼が向けられるのである。

 

 唯物思想は、人間の都合を最優先する根強い慣習となって現れている。人類はその〝業〟に振り回され、人類にだけ好都合な「都市」という、自然と切り離された空間を造りあげた。その「都市文明」が、今日における身心の病という〝不都合〟を引き起こしている。「自然」に癒やしを希求するのは、生命である人類の〝所を得よう〟とする深い意識からの働きかけである。それは不自然な状態から本来の「自然」に帰ろうとする衝動であり、PBSの諸活動は、閉ざされていた自然と人類との通路を再びひらき、ムスビ合わすための取り組みである。それは幼な子の如き無垢な魂に帰り、天地の父母の懐に抱かれることでもある。

 

 現代の諸問題を開くカギとして〝持続可能性(sustainability)〟という言葉が使われている。これは、神意である多様性が具現した大調和の状態である。それは、あなたを通して噴出しようとしている神来の理念である。私たちが、なぜ肉食を削減し、太陽光や地熱などの自然エネルギーを駆使して、地球環境問題の解決に取り組んでいるのか。それは、人間が物質文明を謳歌するためだけに生まれてきたのではないことを世界に示し、自然と人間とがムスビ合い生かし合う大調和の世界を具体化して、多様性と持続可能性に満ちた文明を実現するためである。

 

 それは手をこまねいていれば、神をただ信じていれば、誰かに任せていれば実現できる、というものではない。あなたが〝一歩踏み込む〟こと。その、踏み込んだ足下から〝神の智慧〟が湧出するのである。「踏み込む」とは〝善い〟と思ったことを素直に実行することである。〝善い〟と思ったそのヒラメキこそが、神の導きであり、それを〝為す!〟ことから必要な智慧も愛も生命も湧いてくるのだ。「善行」とは、小さな喜びを、生み出し、発明し、創造すること、即ち〝ムスビの働き〟にほかならない。それは天地一切のものへの感謝となり、最大の〝親孝行〟ともなるのである。