「季節外れのツクツクボウシ」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 過日、機会あって樹木希林さんが主役を務める「あん」(2015年 監督・河瀬直美)という映画を家内と観賞した。あんとは、あんこのアンのことで、樹木さん演じるあんこ作りの名人は、小豆(あずき)を煮るたびに、豆たちが旅してきた月日の物語に耳を傾け、季節の風が運ぶメッセージを聴き、人々が隠し持った心の痛みに、そっと寄り添っていた。

 

 かつてカンヌでグランプリを得たこともある河瀬監督が、この映画で伝えたかった主題が、名優たちを得て次第に浮かび上がり、その慈悲に満ちた内容は、見終わった後もいつまでも深い余韻を響かせていた。ここで扱ったテーマは、表面的には元ハンセン病患者への〝世間の目〟であり、これは今日のLGBT(性的少数者)の方々への差別の問題とも通底している。そんな、人を外見だけで判断する世間の向こうにある、人がこの世に生を受けたことの意味について、この映画は深く問いかけていた。

 

 樹木さん演ずる老女は、先の理由で少女時代に家族から隔離され、世間の人々からやっかい者扱いされ、息をひそめて生きてきた過去を淡々と語るのであるが、そんな境遇にいても、人の悲しみに手を差し伸べることができる、風や光や鳥たちが語る彼らの、ささやかな物語を聴くことができる、苦界と見えるこの世の背後に、掛け替えのない〝いのちのいとなみ〟が満ちているのだ。ただそれを感じることだけで人は、この世に生まれてきた意味がある、登場した人々は、そんな〝想い〟を伝えていた。

 

 差別とは、「人間は神の子であり、自性円満である」という真理を知らずに、人間は物質で、優劣や良否があると見る現象に捉われた偏見である。それが、悲しくも痛ましい差別を生じ、人々をどん底へと追いやる。そしてなによりも、差別している側を、喜びや共感のない孤独な境涯へと閉じ込めるのである。

 

  雨天が続いた十月のある朝、季節外れのツクツクボウシが啼いていた。久しぶりの晴れ間、青空は高く、日差しはキラキラと輝いていた。時期外れの蝉の羽化は〝孤独な旅立ち〟のようにも見えるが、大生命の眼から視れば、彼はちょうどいい時期に、最適な場所で、伸び伸びといのちの讃歌を歌い、私たちに過ぎ去った夏と、深秋の到来を告げていたのだ。

 

 個人の運命にも、それぞれの時節がある。周りの皆が同じことをしているからといって、苦もなくそれに合わせて生きられる者と、かの蝉のように、そうもいかない個性もあるのだ。無理強いして周りに合わせようとすれば、彼は天与の使命を失うことだろう。一人ひとりの人間に授けられた使命を見いだす秘訣は、一切の無明や偏見から自由であることである。そのためには「神よ、私をあなたの御心のままに自由にお使いください」と祈り、肉体人間の境涯から、慈悲喜捨を自在に駆使できる神の子の境涯へと新生することだ。それは蝉が、幼虫から羽化登仙することにも似て、吾々の天与の使命を解き放つのである。