「生かし合いの世界」久都間教化部長の信仰随想


教化部長 久都間 繁

 

 一雨ごとに、季節の扉(とびら)が開いていく。光や風は、神の慈悲の顕れであり、雨や雪は、仏の喜捨の働きである。それが縦糸、横糸となって織りなす季節の美しさは、神様が地球の生きものたちに捧げられた無心の奉仕の姿のようにも見える。

 

 生長の家では、「人間は神の子、無限力」と教えていただいている。わたしたちの能力は、自身に備わっているように見えることから〝我がもの〟と思うのであるが、実はそれは〝授けられた〟ものであり、内に宿る神のチカラである。だからその能力は、周りのものを生かすためにあるのであって〝授けられた者〟はそれを有効に使う使命があるのだ。それを利己的なことばかりに使用して本来の目的のために行使しなければ、やがて隠れてしまうことだろう。

 

 能力に限らず、いのちも、資産も、健康も同じである。『大調和の神示』の中に、「顧みて和解せよ」とあるのは、振り返って天地一切のものの声を聴け、ということである。和解とは、声なき声に心の耳を傾けて、真剣に向き合うことである。私たちは、祈りを通して声なき声に心の耳を澄ませ、その声に、まごころをもって応えることから、今為すべきこと、即ち〝使命〟が明らかとなるのである。

 

 あなたがその声を聴いたなら、素直に実行するがよい。それは、小さき者の姿を借りた神からのメッセージである。もしあなたが、自身の都合を最優先してその声を無視したなら、次からその声は聞こえなくなるのである。現象に心を眩まされていたのでは、神と波長が合わなくなり、授けられていたものを失ってはじめて、そのことに気付くのである。しかし、どんな状況からでも、足下を「顧みて」声なき声に耳を傾け、今為すべきことを全力で為していれば、そこから再び道は開けてくるのである。

 

 人間は神の子であるから、能力は無尽蔵である。しかしそれは、神から托された使命を生きる限りにおいて無尽なのであって、他に与えることなくして扉は開かないのである。あなたに授けられた能力は、神があなたに托した「人類の宝」なのである。あなたの個性が他と異なるのは、人類を代表してその扉を開くカギが授けられているからであり、なればこそ、この世に産まれてきたのである。つまり代替えはきかないのだ。もし、あなたが現象の損得ばかりに目を向けていたとしたら、いのちに授けられた〝使命〟が成就する機は永遠に訪れないのである。

 

 あなたの今持てる能力を、一切のわだかまりを捨てて、周りのためにすらすらと行使してみよう。見返りを求めず、すらりと与え続けることから実相の扉が開き、あなたを通して〝新価値〟が湧出するのだ。神は〝無償〟の愛であるから、あなたが周りの人や事や自然のために無心に奉仕する中から、無尽蔵の智慧、愛、生命が湧出して大調和の世界、即ち〝新しい文明〟が実現するのである。「智慧の言葉」に「奉仕とは新価値の創造である」と説かれているのは、「救われる」(成就)とは、今生での使命(奉仕)を全うすることにほかならないからである。