「元津霊について」(No.8)


教化部長 久都間 繁

 

 神想観の折に称える招神歌(かみよびうた)の一首目に次のコトバがある。「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)、元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)へ給へ」。この元津霊とは、私たちの本源の命のことである。また「生きとし生けるもの」とは、私たち人間の命も、動物の命も、植物の命も、さらに無機物とされる鉱物すらも、その元津霊のあらわれであり、天地の万物は、そこから発生したことが歌われているのだ。その元津霊とは円満完全なる大生命のことであり、これを神とも仏ともいう。

 

谷口雅春先生は、人間の遺伝は「神性の遺伝」であるとして、次のように説かれている。「遺伝が良くないといって絶望するな。胎教を過ったといって失望するな。人間はその最も深いところに実に根強く、神の子としての神性の遺伝をもっているのである。神性の根強い遺伝に比ぶれば、数代前十数代前くらいからの遺伝の力は太陽の前の星でしかないのだ」(『生命の教育』166頁)。「神性の遺伝」とは、大生命なる元津霊から発した円満完全な神性が、いのちからいのちへと継承されてきた、ということである。地球誕生して四十六億年、この神性なるものが単細胞生物から多細胞生物へと分岐進化し、さらに親から子へと代々受け継がれてきたのである。つまり「神性の遺伝」とは、人間の実相は円満完全な元津霊である、ということであり、この神性こそが人間の実体である。神性の遺伝は、認めれば発現するが、認めなければ眠ったままである。分子生物学者の村上和雄教授によれば、遺伝子がオフになった状態である。このスイッチをオンにするのが祈りである。

 

「祈る」とは元津霊(もとつみたま)に深く想いを致すことである。〝想う〟ことで内なる神性(実相)が目覚める。この自覚が深まれば、元津霊から発生したすべてのものの神性が拝めてくる。つまり天地一切のものが、ご先祖のお一人おひとりが、円満完全な神のいのちであったという大光明が拝めてくるのである。それが招神歌の「元津霊ゆ幸へ給へ」であり、実相を直視する生長の家の先祖供養であり、天地一切のものと和解することである。

 

観るとは、本質を見抜くことである。本質とは、元津霊から発したところの神のいのちである。私たちが、欲望の満足や、物質的な豊かさばかりを追い求めていたのでは、神性を「観る」心の眼が曇らされ、そこに現前するのは、太陽の前の星屑(ほしくず)に喩(たと)えられたニセモノの遺伝、つまり限定された能力であり心の病であり虚弱な体質など、歪(ゆが)んだ現象ばかりとなる。

 

このような無明を大生命の光で照射するのが神想観である。光が闇を消すように、般若(はんにゃ)の智慧が「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と照見するように、現象を払拭(ふっしょく)するのだ。只管打坐(ただただすわり)、元津霊に想いを致すことによって、ご自身の神の子の実相に光明の灯が点ぜられるのみならず、ご先祖のすべての御霊(みたま)が円満完全な神の子を神性遺伝していた実相が観えてくるのである。観たものが現れる。一人が真に実相に目覚めれば、九族天に生まれるのである。