子供達に恩を感じる生き方を(6月)
- 2010年5月15日(土) 15:08 JST
- 投稿者:master
東京第二教化部長 各務 洋行
先日(4月25日)、東京第二教区にとって2つ目の生命学園、「飛田給生命学園」が神様の世界から誕生しました。園長は信仰面、運動面共に卓越した飯吉陽子白鳩会前連合会長で、笑いと喜びに包まれた雰囲気の中、5名の子どもが入園しました。皆元気一杯で、礼法や真理のお話をどんどん吸収していきます。その姿を見てこどもの純粋ないのち、感性の豊かさに感嘆せずにおれませんでした。現在、東京第二教区では教区を十カ所に地域割りをしてそれぞれに生命学園を開設しようと計画しています。来月は町田に開設予定です。
さて、話は変わりまして、もう約10年以上前にテレビで見たのですが、ポーランドのご年配の方が片言の日本語を話すのです。そして言う「日本大好き」と。その方は幼少の頃、日本に滞在したことがあるというのです。そしてその番組ではかつて日本とポーランドとの間にあった心温まる話を紹介されました。以下のような内容です。
1919年(大正8年)、ポーランドは長年の夢、独立を果たしました。しかし、その独立を企てた愛国者達は政治犯としてシベリアに流刑されてしまっていた。祖国へ帰りたくても困難を極め十数万の方が飢餓と疫病に闘っていた。せめて子ども達だけでも祖国へ帰したいと「ポーランド救済委員会」が結成され、援助をヨーロッパやアメリカに依頼しましたが、すべて失敗。最後に、民族は違うがここから近い日本に頼んだところ、日本は人道上の理由からそれを受け入れるのです。
早速、日本赤十字社が救済活動に当たり陸軍の輸送船で765名ものシベリア孤児が日本にやってきました。日本では全国から慰問品や寄付金が送られ、色々な方がボランティア活動もされました。やがて子供達は健康を回復し、翌年(大正9年)に祖国ポーランドに帰るのです。船に乗り込んでから孤児達は、「君が代」を歌ったり「ありがとう」「さようなら」を連発して別れを惜しみました。ところがその後、ポーランドは共産圏に入り、日本ではこの話はすっかり忘れ去られてしまった。しかしその73年後(平成5年)、ポーランド大使の兵藤長雄さんがこの話を現地で聞きつけ、「その方達はまだ生きておられるかもしれない。何とかして会いたい」と孤児達を探すのです。そうしたら12〜13人の方が生きておられ、8名の方と日本大使館で対面することが出来ました。皆80才を超えていましたが車いすでお孫さんと来られたお婆さんは言うのです。「私は今日ここに這ってでも来たいと思いました。私は生きている間にもう一度日本に行ってお礼を言いたかった。…私の長年の感謝の気持ちを伝えることが出来、もう思い残すことはありません」とその場に泣き崩れた。
ところがこの話はまだ続きます。その2年後(平成7年)、阪神淡路大震災が起こり「日本に恩返しをするのは今だ」と今度はポーランドが日本の震災孤児60人をポーランドに招待し元気づけるのです。そして最後にシベリア孤児4名と面会することになりました。シベリア孤児の代表者は、日本で親切にされたことを噛んで含める様に語り、4人の老人からバラの花が一輪ずつ震災孤児の一人一人に手渡されました。シベリア孤児の目から涙が溢れ「これで恩返しが出来た」と語られました。その場にいた皆から万雷の拍手が沸き起こりました。(詳細は「善意の架け橋」兵藤長雄著)
人は恩や愛を感じるといつまでもそれを温かく持ち続けているものなのですね。そしていつか返そうとする。その愛を出す姿はシベリア孤児のようにとても美しい。シベリア孤児達は日本に来たのは5才〜10才くらい、純粋で感性豊かな年代だったのでしょう。
皆さん、私達は今多くの愛や恵みに包まれています。家族、仲間、そして自然環境。一切は神の愛の現れ。「日時計主義」を展開して神の恵みを感じて参りましょう。そして、青少年練成会や「生命学園」を通して、子供達の純粋ないのちにその恵みを伝えて行きましょう。きっとシベリア孤児達のようにいつまでも恩を感じる生き方が出来ることと思います。
- 生長の家東京第二教化部: 子供達に恩を感じる生き方を(6月)
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