団参で師のご恩、教区のいのちを刻む(5月)

東京第二教化部長 各務 洋行

 光り輝く明るい季節となりました。皆様も日時計主義を実践して輝く日々を送られていると思います。

 さて、5月と言ったらやはり団体参拝練成会ですね。東京第二教区は昨年まで連続して31年間目標突破を成し遂げていますが、これは全く素晴らしいことです。昨年もお伝えしましたが、団参が始まった初年度(昭和54年)の目標突破教区は東京第二を含めて8教区。その翌年も続けて目標突破したのは東京第二だけ。つまりそこからひたすら東京第二教区の一人旅だった訳です。そして昨年はその偉業を記念して槇と楠の植樹。それから一年経ちましたが、その木に今年も皆で〝会い〟に行きましょう。
 そんな話を先日の講師会推進部会で話しましたら、鶴田練成主任より「東京第二にはまだ素晴らしいことがあります」と次のような話をされました。「龍宮住吉霊宮にお祭り(S56)されている聖観世音菩薩は東京第二教区の初代講師会長、片岡環(たまき)先生が作られたものです」各務「ええー」東京第二教区と総本山にはそんな神縁があったなんて、全く驚きの一語です。片岡環先生が彫刻家ということも初めて知りましたが、そのことについて教区の光明化運動史には片岡先生自身が大要次のように述べられています。

 「大峡教化部長より勧められたのが動機で、いろいろ作ったけれど、谷口雅春先生、清超先生に見てもらって八分くらい出来上がったところで、病気で倒れちゃった。…手術を受けて植物人間になったんですよ。九分九厘だめな命だったのが一厘の命で立ち上がり完成することが出来た」(『多摩の光』274頁)

 またこの観音像について後の「光の泉」誌(H4・5)には次のように掲載されました。

 「その原型像が石膏屋(製作工程と思われる:各務)に滞在中、三晩夢枕に立って〝片岡の許へ帰りたい〟とせがまれた。御製作に当たっては御霊験を戴いていらっしゃいますでしょう(と石膏屋の主の話)」

〝帰りたい〟片岡と離れたくない、観音様をしてそのような言葉を言わしめる片岡環先生はなんと言う人なんだろうと思ってしまいます。命を助けられたのは当然ですね。またこの像には自分の名を刻まずに「東京第二教区」を刻んだということも全くの無私の愛を感じます。かくて昭和56年11月、ついにその聖観音像が龍宮住吉霊宮に御祭祀されたのです。その聖観音像がまた私達を本山に引きつけている、団参の連続目標突破にはこのような力も大きく働いていたものと強く感じます。

 さて話は変わりまして、その同じ昭和56年、本山にお住まいの谷口雅春先生は『人間そのものの発見とその自覚』のはしがきで次のようにお書き下さっています。

 「私はあなたに期待し、あなたを信じ、あなたが此の書を機縁としてこんなにも伸びたと、私に礼状を送られる時が来ることを信じて祈るのである」

 私はこれを読んで、前回の団参の浄心懺悔文の最後に次のように書きました。

 「合掌 ありがとうございます。谷口雅春先生、初めて先生に手紙を書きます。先生、本当にありがとうございました。私はもう30年も前に生長の家の御教えに触れて救われた者です。生きる希望が薄れていたとき、真理に触れて立ち上がることが出来ました。それから結婚も出来、4人の子宝にも恵まれました。今はとても幸福で、充実した日々を送らせて頂いています。更に教化部長という大きな使命も頂きました。先生のお説き下さいました教えによって本当に生まれ変わることが出来ました。本当にありがとうございました。この団参の場を借りて、先生にお礼をさせて頂きます。再拝」

 書きながら涙が出てきました。やっと先生にお礼を言うことが出来たと。心に従来にない喜びが刻み込まれました。皆さんも団参でお礼状を書いたら如何でしょうか。そして東京第二教区を導いてこられた諸先輩の証、槇と楠、龍宮住吉霊宮に対面して「東京第二のいのち」もわが魂に刻み込みましょう。
生長の家東京第二教化部: 団参で師のご恩、教区のいのちを刻む(5月)
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