2012年2月 6日(月) 19:11 JST

無償の愛の実践者となる(3月)

東京第二教化部長 各務 洋行

 皆さん、太陽も輝きを増しすっかり春めいて参りましたが、如何お過ごしでしょうか。

 さて、今回は2人の話を紹介します。今から約60数年前の終戦直後、その中学生のお父さんは戦死、家も焼失、家族4人その日を生きるのが必死の状態。親戚に身を寄せていましたが、自分達の家を建てようとある日、近くの建設中の教会に忍び込み、釘を盗んでリュックに詰め込んでいました。しかし外国人の神父さんに見つかってしまった。覚悟をきめていたら、その神父さんが少年の背負ったリュックを開いて、釘をいっぱい詰めてくれたのです。「足りなかったら、またいらっしゃい」神父さんはその少年を送り出しました。その晩、少年は一睡も出来ず考えた。そして「あの神父さんのようになりたい」と決心したのです。この少年が後にバチカンで司祭となった尻枝正行神父です。


 無償の愛のすばらしさを感じますね。さて、次は「魂のテノール歌手」こと盲目の新垣勉(あらがきつとむ)さんです。現在はその歌声で多くの人々に感動を与えていますが、その半生は厳しいものでした。

S27年沖縄に生まれ、母は日本人でしたが父親はアメリカ軍人。一年後に父はアメリカへ帰り、母親は新垣さんを祖母に預け再婚してしまいました。しかし、更に大きな苦しみは失明です。生まれてすぐ助産婦が目を洗ったのですが、間違えて動物用の洗浄液だったので眼球は焼けてしまったのです。祖母と生活保護の生活、思春期になると憎しみが増してきた。「目に傷害を負わせた助産婦が憎い、自分を見捨てた母が憎い、アメリカへ帰った父が憎い」そして「大人になったらアメリカへ行って父を捜す。そして殺してやろう」と。

そんな中、新垣さんは音楽にすがった。小さい頃から歌はうまいと評判だったのです。ところが中学2年の時、最愛の祖母が死んでしまう。天涯孤独…。井戸に飛び込もうと自殺を図るも友人に止められた。「僕は死ぬことさえできないんだ…」その時、祖母が好きだった賛美歌がラジオから流れてきた。そして教会へ行くと一人の牧師が出迎えてくれた。生い立ちを叫ぶように訴えすべてを吐き出した時、すすり泣く声が聞こえた。「こんな僕のために涙を流してくれる人がいる」城間祥介(しろましょうすけ)という牧師でした。

早速、教会の中に部屋を用意し家族同様に迎えてくれた。大学の神学部にも通い牧師の道を歩み出した。ある時、世界的に有名なボイストレーナーから言われた。「君の声はラテン的な明るさをもっている。神様からのプレゼントだよ。授けてくれたお父さんに感謝しなさい」この言葉が運命を変えていったのです。「自分の歌声で傷ついた人たちの心を癒すことができるかもしれない」

 新垣さんはプロのテノール歌手になる為、東京に出て来るが狭心症になり死線をさまよう。そしてベッドの上で気づくのです。「自分は何て感謝を知らない人間なのかと。…皆のおかげで生きていることを忘れていた」ついに父母にも感謝が出来、念願の「テノール歌手」になるのです。新垣さんはこう言っています。「出来ることなら父親の前で精一杯歌いたい。父さん、この声と身体を授けてくれてありがとう」こうして新垣さんは神生していったのです。


 皆さん、バチカンの尻枝正行神父と新垣勉さん、二人とも牧師の無償の愛によって救われたのです。ならば、私たちもこの「無償の愛」の実践者となろうではありませんか。「生長の家」の真理を携えて自他一体の愛を行じて行く。そこに私たちの本当の喜びが生まれるものと信じます。


最後に、総裁・谷口雅宣先生のお言葉を紹介します。


 「神さま、わたしは『神の子』ですから、神さまの愛の仲介者であり、かつ愛の流れを促進する実践者です。神さまからいただいている豊かな愛を、必ず他へ回します。そのとき、わたし自身の生命を注ぎ込むことで、新たな善と美と調和が顕れます。それがわたしの喜びです」
 『日々の祈り』122頁(神の愛の実践者を自覚する祈り)



  • 2010年2月20日(土) 13:55 JST
  • 投稿者:
    master

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